「一度だけ、俺は将太くらいん時、ウミの日のウミに入った事があるんだ」
僕はびっくりして智弘おじさんを見た。
「なんで」
「家にナイフを忘れてなあ。お前の父ちゃんがくれた肥後守。ほっとくとさびちゃうだろ、あわててみんなの見ていない時を狙って、こっそり村が沈んだウミの中に潜ったんだよ。すぐに行って帰ってくれば大丈夫だって」
「やっぱり、ご先祖様に連れ去られるっていうのは嘘だったんでしょ?」
智弘おじさんはどこか遠くを見たまま、唸った。
時折吹く風が水面をさらさら波立たせた。陽に光るウミは昨日まで村があったとは思えないほど、ずーっと前からウミだったように静かに水を湛えていた。
「…みんなが言うような、足をひっぱる幽霊がいるっていうのは嘘だな。いつ引っ張られるかーって思ってビクビクしながら泳いだが、まあ静かなもんだった。怖いくらい静かだった」
ウミの中は生き物の気配が全くしなかった。水に沈んだ石造りの街並みを、いつもの村の風景を、おじさんは屋根の上よりも高いところから見下ろした。
その日は晴れていて太陽の光がゆらゆらとさし込んでいたけれど、
小さな塵が漂うほか、魚も、草でさえも、生き物らしいものは何もなかったそうだ。
静かすぎてなんだかざわざわした。ただの水たまりとはなにか様子が違うらしいことはわかった。おじさんは早いとこ取ってこようって、息継ぎしながら家に急いだ。
そしてそれを見てしまった。
「な、何をみたの」
「お前だよ」
「え」
「あー、お前の幽霊かな。俺んちにいた」
「い、いないよ!いるわけないじゃん!息できないよ!」
「落ち着けよ。その前に生まれてないだろうが。家の窓から大人と、女の人と、子供がウロウロしてたのが見えたんだよ。でもなんかぼやっとして生きている感じがしなかった。やべえって思ってそのまま引き返した」
「なんで僕ってわかったの」
「その時は慌ててたんだがな、帰ってきてよーく考えてみると、男の方が兄貴に似てたような気がするんだ。兄貴が時子さん連れてきた時も、あの時の人だって思った。だから多分、あの子供は将太だ」
僕はきっとそのときすごい顔をしていたに違いない。
智弘おじさんはそのあと、ぷあっはと笑って僕の頭をかきまわした。
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